伝説の陶芸家 國吉清尚 初期 黒釉 平盃 豆皿 (検索用 国吉清尚 濱田庄司 金城次郎 土井善晴 琉球古陶 民藝 酒杯 ぐい呑 沖縄 湧田 壺屋)

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商品情報

國吉清尚さんの1970年代の作品です。おそらく豆皿でしょうが、形も寸法も日本酒の盃にバッチリなので、ぜひ日本酒を飲む時に使ってあげて下さい。同時出品中のお茶碗同様、こちらも鹿児島の古美術商・鶴田さんから分けていただいたものです。鶴田さんについては、お茶碗の説明文をご覧下さい。「清尚さんは古我知 (こがち) の黒を長いこと追い掛けていて、やっとこれが出来た」と、その鶴田さんが言っていました。僕も琉球古陶で同じような釉調のものを探しましたが、なかなか見付けることができず、画像10枚目の仏華器 (18世紀前半 湧田 垣花隆夫コレクション) が壺屋焼物博物館に展示されているのを見て、ようやく似た釉調のものを確認することができました。比べてみると、清尚作品は目指す釉調を見事に再現していますね。この黒は、元々艶が出ない釉薬なんでしょうか、それとも「溶け前」などと言われる、釉薬がガラス化する寸前の状態なんでしょうか。めったに見ないことからすると、後者じゃないかと。僕には素晴らしく気品ある黒に感じます。今、料理研究家の土井善晴先生が一番手だと思いますが、清尚さんの初期作品を高く評価する動きが出ています。しかしながら、サインを入れていない時代の、しかも既に50年ほど前になる作品なので、真作 (偽物ご注意) 且つ状態の良いものはほとんど残っていません。清尚さんファンだけでなく、琉球古陶ファン・民藝ファンの方にもぜひ引き継いで欲しいと思います。作品は無疵完品です。無地の桐箱が付属します。「箱書き」はありませんのでご承知おき下さい。真作であることを保証します。口径 : 最大 10.0cm (外)高さ : 最大 3.3cmかなりの時間とお金を掛けて國吉清尚さんの作品をコレクションしていましたが、諸事情 (涙) のため1円スタートで売り切ります。ぜひとも引き継いでいただき、ご愛用をお願いします。出品説明文の最後に、清尚作品が「なんでも鑑定団」に出た時 (2017年8月) のナレーションを載せておきますので、ぜひご一読下さい。*****國吉 清尚 (くによし せいしょう・Seisho KUNIYOSHI) 略歴1943年 沖縄県那覇市首里で生誕1963年 小橋川永昌さん (仁王窯) の下で修行1966年 濱田庄司さんとの縁で栃木県益子にて修行1968年 沖縄県読谷村で開窯1999年 焼身し死去 (満55歳)*****・記載の寸法はアバウトです。・作品はスマホのカメラで撮影しており、近接写真は少し歪んで見える場合がありますのでご承知おき下さい。・出品作品はすべて真作と判断していますので真贋に関するご質問はお控え下さい。万一間違いがありましたら落札代金と送料はお返しします。・経年品のため画像で見えないようなスレや小キズはご容赦下さい。・作家さんの手を離れた後にできたであろう疵や修理は記載しますがそれ以外の窯疵などは画像にてご確認下さい。また神経質な方は入札をお控え下さい。・作品の状態に関すること以外のご質問には回答を控えさせていただく場合があります。(即決依頼・直接取引依頼・入手先・入手時期など)・出品期間中の破損などにより、やむなく出品を取り消しする場合があります。・オークション終了後のご連絡は落札者様の方から落札後24時間以内に取引ナビでお願いします。(いたずら落札ではないことの確認と、梱包資材などの準備のため)・お支払いは「かんたん決済」の期日内にお願いします。・複数落札での「まとめて取引」(同梱・一括支払い) には対応できますが、決められた手順がありますので初回のご連絡前に「ヘルプ」でご確認下さい。・匿名取引を利用していますので領収証の発行はできません。・商品到着後問題がなければ速やかに「受け取り連絡」をお願いします。(受け取り連絡をしていただかないと入金されないシステムのため)*****<2017年8月8日放送 開運!なんでも鑑定団 國吉清尚紹介のナレーション>パックリと口を開けすべてを飲み込んでしまうかのような華器、海上がりの如く肌がザラついた小壺、茶筅の穂先がバラバラになってしまいそうな茶碗、いずれも無骨で何の飾り気もないが、力に溢れ、見る者を惹きつけてやまない。作者は國吉清尚 (くによしせいしょう)、生涯沖縄の土と格闘し続けた陶芸家である。1943年 (9月28日)、沖縄県那覇市 (生家は首里城南殿!) の生まれ。高校生の頃から陶芸に興味を抱き、二十歳の時、壺屋焼の名工・小橋川永昌 (仁王窯) に弟子入り。すると一気に才能が開花し、二年後の沖展に出品した陶枕は奨励賞を受賞した。同年上京し、日本大学 (空手の推薦) に進学したが学校にはまったく通わず、栃木県益子町で修行。二年後故郷に帰る際は、濱田庄司がその才能を惜しみ引き留めたほどであった。沖縄では読谷村に窯を構え、試行錯誤の日々を続けた。國吉の名を最初に世に知らしめたのは、井伏鱒二の小説「珍品堂主人」のモデルにもなった古美術研究家・秦秀雄である。秦は、鹿児島の料理店 (さつま路) で偶然目にした國吉の何のてらいもない丸紋土瓶に惚れ込み、1975年発行の雑誌「銀花」でこれを激賞。その結果、國吉は沖縄陶芸界の新鋭として大きな脚光を浴びたのであった。しかしもとより國吉には売れることを目指す気は毛頭なかったため、すぐさま土瓶づくりはやめてしまい、その後は自らの思いを沖縄の土に練り込み炎に託して放出するかの如く、様々なオブジェに力を注ぐようになった。当然、その作陶は既成概念にとらわれず奔放で、例えば陶芸では通常数種類の土を混ぜて陶土とするが、國吉は土味を殺すからとこれをやめ、この土味を最大限に活かす焼締だけでなく、ガジュマルや琉球松の灰などでつくった釉薬を用いたり、海水の微量成分の釉薬効果を狙い珊瑚を作品の傍や中に置いたりもした。一方、最も嫌ったのは狎れ (なれ) や媚 (こび) で、國吉の作陶は常に素手で白刃に立ち向かうかの如き緊張感に満ちている。そのため、一見無手勝流のようだが隙や遊びはなく、そのすべてに動と静、緩と急が呼吸の如く息づいている。しかし、その感受性はガラスの如く繊細だったのであろう。私生活は壮絶で、良き家庭人でありたいとの思いと、なまぬるい幸福を唾棄したいとの思いが交錯し、三度の結婚・離婚を繰り返す内、酒と睡眠薬に溺れ、1999年4月11日、丸く囲ったレンガの中に身を置き、灯油をかけて火を放った。覚悟の自殺か、はたまた自らの身体を陶器と見立てたのか。もちろんすぐさま病院に運ばれ、延命のため両脚が切断されたが、一ヶ月後 (5月10日) 帰らぬ人となった。享年56。(享年57歳・満55歳の誤り)<中島誠之助さんの総評抜粋>見る者を吸いつけてやまない魔力がありますね。躍動する血潮を感じる。沖縄の海と土と、薪となった木、そして火、沖縄一色が産んだものですね。

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